ろんくま移住促進委員会(氷見市論田・熊無)

地域

石川県羽咋市との県境に、川を挟んで向かい合うように論田地区と熊無地区がある。それぞれ約100世帯300人、両地区合わせておよそ600人。この30年間で人口が半減する中で、大学生のインターンシップを受け入れるなど外部の人との交流を図りながら田舎の魅力を発信し、近年は移住者の受け入れに向けた活動を活発に行っている。

 両地区の交流が原点

両地区では農具の「藤箕(ふじみ)」の製作技術が国の重要無形民俗文化財に指定されている。江戸時代に加賀藩の奨励を受けて発展し、昭和30年代まで一大産地として栄えたが、山を知り尽くす両地区が協力し合って材料の藤つるを調達してきた。また、地域の課題に対して古くからお寺に集まって話し合う伝統があったこともあり、現在でもいろいろな活動を協力しながら進めてきた。

高度経済成長期以降、人口流出が進み、プラスチックの普及により地域経済の中心だった藤箕の需要も減少する。そんな中、論田では2002年に地元の草餅の味を伝えていこうと加工グループが立ち上がり、熊無では2005年に県境の峠にできた市の施設「お休み処くまなし」で、農産物や草餅などの加工品、藤箕などを販売して地域の魅力を伝えてきた。

ろんくま移住促進委員会 内会長、中原副会長

2019年、熊無の内毅さん(71)、論田の中原修さん(70)がそれぞれの自治会長を務めていたとき、両地区共同で、県の「中山間地農業再生支援事業」に応募し、採択された。大学などと連携して地域の魅力を生かした農村づくりを促進するもので、東京と神奈川から大学生を受け入れた。

学生らが農作業の体験や祭りなどの行事に参加し、住民と交流を重ねる中で、山里の景色を眺めながら、地域の文化財や花の名木などを巡るウォーキングイベントが始まった。何でもない田舎の料理が「美味しい」と評判だったことに驚き、「伝承料理」として若い世代に伝えていこうという取り組みも始まっている。

2人は「過疎の怖いところは、地元への愛情が薄れていくこと。愛着を失った人がますます離れていく」と言う。一方、外から来た人は自分たちが気付かない魅力を教えてくれ、地域への愛情、活力を取り戻してくれる。

 山里の日常は日本の宝

2021年には、地域内外の交流活動をより活発にし、移住の受け入れを強化しようと「ろんくま移住促進委員会」が発足。地域の日常やイベント情報等を発信するホームページやSNSを開設したほか、地域の特徴や風習などをまとめた「集落の教科書」を作った。

事務局を担当する伊東翼さん(40 )自身も東京出身の移住者で、母の故郷である論田を夏休みなどに訪れた時の体験が忘れられず、田舎への憧れを抱き続けていた。2011年の東日本大震災の時、大都市が機能不全に陥ったのを目の当たりにし、ただ消費するだけではなく、少しでも自分達の手で作る暮らしができる場所に移住したいと決心したという。

「人口減少が進む今、私たちがやるべきことは、地域の良いところも悪いところも一歩引いて見える化して、時代に合った形を考え、話し合い、本当に大切にしたいものに焦点を当てていくこと。心から美しいと思えるものがこの土地にはたくさんあり、できるだけ守っていきたい。それは間違いなく富山県、そして日本の宝だと思うんです」と話す。氷見に移り住んで10年。伊東さんは、お世話になった地域への恩返しをしたいと、移住者、そして住民として、地域を見つめている。

月刊富山県人 2023年12月号

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