滑川市の海岸沿いを走る県道1号富山魚津線は、かつての北陸街道と重なり、街道沿いには歴史的な趣の商家や建物が多く残る。江戸時代に宿場町が開かれて加賀藩の本陣も置かれ、滑川宿と呼ばれて栄えた歴史と、そんな貴重な建物の維持・活用、町並み保全に取り組もうと2010年、建物の所有者や関係者が「滑川宿まちなみ保存と活用の会」を発足し(3年後にNPO法人化)、活動を始めた。

昭和30年代の瀬羽町(滑川市立博物館提供)
旧町部の中川河口は古くから物資の集積地としても栄え、昭和に入ってからは市役所や商工会議所などが置かれ、映画館も4館あり、中新川地域の中心として賑わってきた。
しかし、1962年に郊外に国道8号(現県道135号)が開通。道路網の整備も進むと、若い世帯を中心に新しい住宅地に転出する人が増え、後継者が遠方で暮らすケースも多く、次第に空き家や空き地が増えていった。NPOの小沢政商理事長は「江戸時代の建物も取り壊されたが、当時は古い建物に歴史的な価値を感じる人はほとんどいなかった」と振り返る。
歴史的建造物に光が当たる
そんな中、2000年に、古い商家や洋風の近代建築物など4件が国登録有形文化財に登録され、地域の歴史が見直されるようになる。07年には、廃業した元酒蔵の宮崎酒造の解体を依頼された建築会社の社長が、「こんな立派な主屋や蔵を壊してはいけない」と自ら買い取って修復・復元し、10年に国登録有形文化財となった。
ちょうどこの頃、建築が専門の永井康雄山形大教授が一帯を調査し、貴重な建物が多数あることを確認。NPOが中心になって修復工事を支援し、国登録有形文化財は現在、19件に増えている。
さらに、建物を修復するだけでなく、活用しなければ保存できないと、旧宮崎酒造の建物を中心にひな人形展示や、滑川ゆかりの作家によるアート展などのイベントが定期的に開かれている。永井教授も江戸末期の商家を購入して修復し、「有隣庵」と名付け、大学生のワークショップのセミナーハウスや地域の交流会などに活用している。
中でも町並みがベトナムの古都「ホイアン」に似ているということで、現地のお祭りにならった「ベトナム・ランタンまつり」は、会発足と同じくして2010年から毎年8月に行われ、県内外から多くの見物客が訪れるイベントに発展してきた。
また、今年3月には町中に残る歴史的な建物11か所を公開する「なめりかわ建物フェス」が開かれた。実行委員会は若手世代を中心に構成し、全国の歴史的建造物を紹介するインフルエンサーなどもアドバイザーとして参加。NPOも協力して、普段見られない場所を公開しながら、見学ツアーやトークイベントなどを実施。2日間の開催で、市民や全国の建築ファンなど延べ5千人以上が滑川宿の魅力に触れた。

「なめりかわ建物フェス」では多くの人が歴史的建造物を実感
空き家を再生した店舗が増える

空き家を活用した出店が増えている
こうした動きを通じ、地域の魅力が多くの人に知られるようになり、空き家で飲食店や雑貨店を始める人が増えてきた。これまでに13軒がオープンし、休日には若い人が通りを歩く姿が戻ってきた。
現在、NPOはボランティアを含め、会員数は80人を超えるが、小沢理事長は「新しく店を開いた店主の方や、若い人達の活動とも連携しながら、町並みと歴史を将来に繋いでいきたい」と話す。
富山県人 令和7年6月号