高岡鉄器・OMOSIブランド(高岡市)

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全国的に有名な高岡の鋳物は鉄鋳物に始まったが、その伝統ある「高岡鉄器」が存続の危機にある。そんな中、銅器メーカー大谷喜作商店の大谷彰郎さん(54)は鋳物工場を引き継ぎ、高岡鉄器の新たな魅力の創出に挑戦している。

400年つづく高岡鉄器の危機

加賀藩2代藩主の前田利長は1609(慶長14)年に高岡の町を開き、1611年に産業振興のため7人のを呼び寄せ、鋳物づくりを始めた。当初は鉄の鍋釜などの日用品や鍬などの農機具を作っていたが、寺の梵鐘や仏具などの銅器の需要が増えると、金工技術も発達し、高岡は「銅器の町」として知られるようになり、1975年には「高岡銅器」が国の伝統的工芸品の指定も受けた。

大谷喜作商店は銅器メーカーではあるが、独特の風合いと求めやすい価格の鉄器の香炉や干支の置物などに力を入れてきた。しかし付加価値の高い銅器が飛躍した一方で、高岡鉄器は1970年代前半をピークに、生産量も従事者も減少し続けた。市内で唯一残っていた鉄器専門の岡鋳造所の岡幸正さん(82)も年齢と後継者難から廃業の意思を固めていたが、工場の閉鎖は大谷喜作商店の主力商品が製造できなくなることを意味しており、2023年に大谷さんは事業承継を決意。岡さんやベテランの職人の指導を受けながら、汗を流している。

キューポラをバックに大谷彰郎さん(右)と藤田和人さん(左)

大谷さんが、鋳造所を引き継ぐ上で心強い存在がいた。中学時代の同級生、藤田和人さん(54)だ。藤田さんは前田利長が招致した鋳物師7人衆の1人藤田の末裔で、鋳物メーカー「山善」の18代目。藤田さんも400年続く鉄器を中心に鋳造を行っていたが、需要の減少や安価な輸入雑貨の増加などにより18年前に工場を閉じ、商品製造は岡鋳造所に依頼してきた。大谷さんが工場を引き継いでから商品企画や職人の技術指導など、惜しみない協力を行っている。

鉄に新たな魅力と価値を

他の銅器メーカーも、少なくなったとはいえ鉄の製品を扱っている。大谷さんの決断に高岡銅器協同組合の仲間も高岡鉄器の新しい魅力を作ろうと「OMOSI(オモシ)」ブランドが立ち上がった。組合の12社が参画し、鉄の素材を生かして「重し」と富山弁で「おもしい(面白い)」をテーマに、ブックエンドやペーパーウェイトなど、各社がオリジナル商品を発表した。米国の展示会にも出品し、少量ではあるが海外との取り引きも始まり、今年は第3弾のティッシュディスペンサーを企画している。

美術工芸品が8割を占め、干支の置物など季節による繁忙の偏りも大きい。飲食店向けの鉄皿や半導体製造機の冷却部品など新たな受注もあるが、OMOSIブランドをはじめ、高岡鉄器の多様な用途を提案し、販路拡大を目指している。

高岡鉄器「OMOSI」ブランド

もう一つ大きな問題が設備の老朽化だ。中でもキューポラと呼ばれる溶解炉の傷みが激しい。銅やアルミに比べて融点が高い鉄の溶解には古くからキューポラと呼ばれる専用の装置が使われ、かつて高岡にはキューポラの煙突が多く見られたが、現在稼働しているのはここだけ。応急処置をしながら使い続けてきたが、安定した製造体制を守るために、本格的設備の修繕をしようとクラウドファンディングを立ち上げた。

砂を固めた鋳型から生まれる鉄器は「他の素材にはない温かみを感じる」と大谷さんと藤田さんは口を揃える。「400年の火を消してはいけない」と願う多くの仲間の支援も受けながら、伝統の道を踏みしめている。

月刊富山県人 2026年5月号

2026年6月7日までクラウドファンディング挑戦中

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